今回は那須町大森好子(おおもりよしこ)牧場を取材しました。この牧場は何度も養牛の友やその他畜産雑誌に掲載されている故 大森貞七郎牧場なのでご存知の方も多いと思います。また岐阜県の2枚看板(白清85の3、花清国)花清国(飛騨白清X北国7の8X紋次郎)の母親(じろう号:北国7の8X紋次郎X賢晴)を輩出した牧場としても有名です。表紙の写真の方が牧場を案内していただいた好子さんです。今年で牛飼い47年目のベテランです。世間一般には故 貞七郎さんの名前が先行していますが実は好子さん中心で切り盛りしていたそうです。貞七郎さんは約40年以上役場勤めの婿さんで牛飼いは好子さん中心だったそうです。(意外でした)先代は昭和22年に那須町に入植し、当初は米、野菜中心でしたが昭和52年(好子さん30歳)に牛飼い(和牛繁殖)に切り替えたそうです。当時は使用できる土地が足りないため大変苦労しながら山林を開墾し条件の悪い湿地に土を入れて土台をつくり整地したと伺いました。好子さん自ら行ったそうです。また牛飼いは素人であったため最初の5年間は1日2時間は独学で血統や飼養管理技術について勉強された苦労人です。写真のように取材当日は天候にも恵まれ大変開けた広大な土地で牛飼いには抜群な環境であると感じましたが開墾あっての環境であったと知ることが出来ました。現在は息子さん(浩行さん)と孫娘夫婦(恵理奈さん、敬さん)の三世代で経営しています。
現在母牛50頭そのうち約30頭は安福久で安福久がブレークすると同時に好子さん主導で一気に入れ替え導入したそうで1度に10頭で1,000万以上の投資も厭わず行ったお陰でリターンもかなりあったと伺いました。若い頃から株式投資をされていたので相場師故の判断の速さと思いっ切りのよさがあるのだろうと感じました。最近も福之姫X安福久を6頭一気に矢板市場から導入したそうです。写真の左側は牧場全体の牛の配置図と分娩予定ですが面白いのが一般的には上部の繁殖ボードにこれから受精する牛と受胎した牛も全て記載し管理することが多いですが写真左側のようにこれから受精する牛、妊娠鑑定待ちの牛は別管理され、色付きの磁石で分かりやすいように表示されています。これは牛舎が分散しておりステージ毎に移動をして管理しているからです。全部で7棟の構成になっています。(ET館、1号館、2号館、3号館、お産館、新館、育成館)
1号館:母牛15頭~16頭+子牛/30頭前後 4か月離乳→受精後妊娠鑑定プラス→子牛は育成舎へ移動(3号館も同様)→妊娠鑑定プラス母牛は2号館へ移動 頭数の密度によってお産館、ET館に分娩前に移動しお産させる。天候の良い場合は写真のように広大なパドックがあり放すそうです。発情発見や分娩後の子宮の回復に良さそうであると感じました。牛舎の構造で特徴的なのが天井が高く換気が良いこと、スリットがあり採光されていることである。子牛の呼吸器病や敷料、床の乾燥で消化器病の予防に良さそうである。妊娠後期には良質な自給粗飼料を飽食させているため写真のように腹回りが大きいです。そうすることでお産や分娩事故がほとんどないそうです。写真のように稲わらがふんだんに敷き詰められてどの牛舎も床が乾燥した状態でした。取材したなかでここが一番かもしれません。子牛は生後2時間以内に人工初乳を給与
牧草地は10町歩でイタリアンライグラスロールを3番草まで収穫、田は7町歩(そのうち5町歩はWCS)イタリアンは主に1番草を使用し、2番、3番は品質が悪い場合は敷料にしてしまうそうです。敷料のワラは自家産と近隣から購入して集めています。
飼料体系についてイタリアンロールは飽食、受精前、子牛付の場合は配合飼料2kg、 妊娠鑑定プラス後は移動し配合飼料は止めてフスマ1kg+WCS+ワラ飽食、分娩前の増し飼い2kg(お産予定の2か月前~)妊娠後穀類を減らすことで粗飼料を大量に食い込まして写真のように容積のある腹をつくっているのかもしれません。
ETやOPUも実施していますが詳細はパート②で紹介予定です。
写真のようにどの棟も広大なパドックがあり他にはない素晴らしい環境であることがよく分かると思います。換気扇が1台もないことからも夏場は冷涼である一方で冬場の寒さ、特に暴風が厄介で風除けシャッターも壊す勢いだそうです。牛舎を分散させた理由は火事や伝染病の蔓延を防ぐ目的だと伺いました。
最後に自宅を拝見させていただきました。巨大な大黒柱、装飾の素晴らしい欄間(宮大工でないと無理かも?)、見たことのない神棚、牛のトロフィーの数々…
これでは神社顔負けですね。固定資産税が恐ろしい…
最近の畜産業界は明るい話題がない中で頑張ればここまでの立派な財産ができる(会社員には無理です)という夢のあるお話でした。
パート②は若手の孫娘夫婦(恵理奈さん、敬さん)を取材予定です。