“安福久号”の発掘秘話(那須町 角田正雄牧場取材レポート)

もとじろうと角田正雄さん

 

安福久号

1.もとじろう~安福久誕生まで

安福久は鹿児島県の徳重和牛人工授精所の供用種雄牛。サシ(霜降り)の入りや肉質改良能力が高いことから、安福久の血統を持つ子牛は全国的にも高値で取引されることで知られている。父は「安福165の9」母牛の父は「紋次郎」、母の母の父は「糸光」。平成13年10月30日生まれで平成28年3月1日に死亡 安福久は先日取材させていただいた室井広美さんがかつて所有していたもとひかりの第1子もとじろうが母である。母牛の「もとじろう」産子の枝肉成績を見てみるとBMS平均10.9(去勢)、10.0(雌)と素晴らしい成績を残している。

安福久の母であるもとじろうは最初、大田原市でアパレル量販店サカゼンが和牛繁殖を経営していた時期があり所有していた母牛の1頭であった(現在は撤退)角田氏がもとじろう産子牛(安金×紋次郎)を当時約30万円で導入し平成3年那須町枝肉共励会に出品したところ4,000円/kg、約200万と大変優秀であったため、家畜商(文村畜産)の勧めもあり後にお願いし買い取った牛である。薄暗い屠場のなかサシで一際キラキラ白く輝いて目立ったという。もとじろうを求めたときにはサカゼンの手から北海道の神明畜産に渡っていたが家畜商が買い戻してくれた。そのとき既にもとじろうは6歳齢程度になっていた。

もとじろう導入後~角田氏は肥育だけではなく繁殖も開始した。それまで面識のなかった当時那須技研の西貝先生にお願いし安福165の9で採卵して誕生した子牛の1頭が安福久である。

もとじろうは気性が穏やかで風格がありしかも乳量が出たため子牛が大きく育った。繁殖性も抜群で採卵しても数が取れた。経緯はともかく安福久は徳重和牛人工授精所に行くことになり、その後の活躍は言うまでもない。安福久の命名は和牛コンサルタント小野健一氏であり鹿児島県の野崎畜産が多く出品し成績が出たことから全国的にブレークした。

もとじろうは平成元年生まれで平成24年に亡くなるまで繁殖牛にしてはかなり長寿であった。晩年繁殖性が低下し県の試験場でOPUや耳の細胞からクローンを試すなど様々ことを試みたが上手くいかず角田氏の手から十勝の阿部畜産に渡り、鹿児島で余生を過ごし大往生した。

2.角田正雄畜産概要

和牛肥育100頭(雄雌肥育)年間60頭出荷、繁殖牛30頭 角田さん、奥様、従業員の3名が労働力一貫肥育と導入半々 20ヶ月肥育 藁は購入し自家産イタリアンライグラス、イタリアンライグラス、オーチャード混播10ha 腹づくりが出来た牛を導入することを心掛けて、子牛の段階で皮下脂肪の厚い牛は避けている。事前に農協職員から情報収集を行い子牛の飼養管理情報から儲かる牛を探して購入している。

仕上がり段階では肩に厚みがあり、ももが張って背中が平らで広い牛が良い成績が出るという。飼養管理に関し導入4ヵ月までは腹八分目とし飼い直しを行い徐々に増し飼いを行う。1ヶ月で最大に持っていく農場もあるがその場合ハザ掛けのバシバシの藁を使っている。肥育牛舎は写真のように酪農のフリーストールのような広々とした屋根の高く換気が良い環境で1マスが去勢3m X 6m 2頭 雌 2.7m X 5.4m 2頭で飼っている。肥育牛舎特有の臭いがほとんどしない。繁殖牛は写真のように牛舎とパドックを併用したストレスのない環境で牛がのびのびとしている様子がわかる。

現在はもとじろう産子の種雄牛が多く上市され“もとじろうファミリー”と呼ばれているがこの安福久がブレークし全国区になった成果である。銘牛100選にも選ばれており栃木県から輩出されたことが大変誇らしいしこの“もとじろうファミリー”から今後も続々と種雄牛が出てくるでしょう。角田さんの機転の利いた行動により全国の肥育農場、繁殖農場が感謝していることと思います。

次回はもとじろうファミリーの美国桜号/松本一牧場の紹介です。