花卉栽培から転職した注目の若手地域リーダー “牛つくりは人つくり”

通さんは学校を卒業後20歳~34歳まで牛飼いはせず、花卉栽培(菊生花)事業を始め順調であったが時間の制約が厳しくその時期お子様も生まれ、家族との時間が取れないのでハウス更新時に思い切って牛に切り替えた。生花は供選(きょうせん)といって出荷時期やサイズを切り揃える規格が厳格で大変だったそう。

 

父親から3頭の母牛を引き継ぎ自己資金で増築増頭し13頭程度になった年に近隣敷地内に病院建設計画で移転せざるを得ないため現在の土地へ移転した。家畜人工授精免許も花卉栽培を辞めた年に取得し自ら人工授精を行っている。牛飼いは経験がないため技術を求めるが、近隣に和牛農家がない状況下で酪農家が面倒をみてくれた。平成16年~現在まで雌は自家保留し矢板市場で去勢を販売しながら雌を導入し増頭してきた。当初は和牛だけでは生活できないため10年間野菜を栽培し生計を立てていた。ETも行っているが育種価の低い牛や老廃予定牛に移植している。

現在は親32頭まで増頭し、年間24頭子牛出荷が出来るようになった。水田は14町(そのうち2町はWCS)自給粗飼料はイタリアンライグラス、燕麦を合わせて10町栽培している。