牧場の概略

父・恒夫さんは、高校を卒業後肥育を手掛ける。しかしオイルショックにより中断。35歳から再度牛飼いとなり岡山・広島さらに岐阜、大分などから素牛を導入し現在に至る。

牛飼いのポイント
(省力化)
昭和51年に母牛30頭にするため、連動スタンチョン、バーンクリーナーを取り入れ省力化を図り、事故防止飼い易さの視点で親牛の全頭を除角。これによって、牛は大人しくなり不慮の事故防止にもつなげている。

(受精卵)
全国でもまだ実験段階であった受精卵を昭和62年に取り入れ、経営の一助としてきた。借り腹で和牛を生産する体系を築いた国内最初の農場で、借り腹方法のパイオニア。

(経営の基盤)
恒夫さんは繁殖に精力を注いできたが、俊行さんは肥育部門を担い技術を向上させ、今春に法人化し経営形態一貫に移行。

(将来)
一貫によって、さらに良質で肉量を伴う遺伝子を確保し、経営の安定化を図る。